2012年3月14日水曜日

バイオリズム

長く厳しい冬は、延々と続くトンネルの中を駆け抜ける感覚と似てる。光を求めて暗闇を走り、いまようやく小さく出口の灯りが見えてきたところ。出口はまだ遠い先にあるが、ほのかに春が近くなってきた。
峠越えした長い冬に、まもなくの春の訪れに、君は何を想うのでしょうか。
タテタカコさんのライブを観た、2月11日の夜、放哉で。これまであらゆる媒体越しでタテさんのうたやインタビューなどを見聞きしてはハードコアな女性という印象を持っていた。音楽表現としてはピアノとうたというシンプルな構成ではあるけれど、私にとってはハードコアのライブを観に行った面持ちで。いつかどこかでライブを観れたらと願いながら、旭川で観れる日がくるとは。でも、心の中でそれを待ち望んでた。
いま観たら私は確実に泣いてしまうだろう、という覚悟はできていた。はずだったが、凛とした佇まいで、タテさんがピアノの前に座り”こんにちは はじめまして 旭川”とうたい始めた瞬間、涙が溢れてとまらなかった。窓辺から見える冬まつり開催中の街の風景も、放哉のお蕎麦のことも、タテさんの歌声で全てが音楽となった。泣けるという言葉がとても陳腐に感じてしまうくらい、思考や感情よりも先に、ただただ本能的に涙が止まらなかった。壮絶で、恐ろしいくらい残酷で、併せ持ったやさしさの賛美に満ち溢れて、心は浄化されるようで抉られてくようだった。こんな感覚ははじめてだった。タテさんが歌い終わるまで放哉の一席でひとしきり泣いた素晴らしい夜だった。

それから3月の映画の日にはレイトショーで「ヒミズ」を見に行った。2日は、再び放哉へ足を運び、PWRFL POWER野村君とmmm(ミーマイモー)のライブを観た。野村君とも久しぶりに会えて良かったし、あの巧妙なギターはいつ聴いても素晴らしい。ミーマイモーは札幌日程の企画を組んだのぐさんのお家に行った昨年に何気なく、観たいねと話していた思い出が愛おしくなるほど。ブルースな歌声で、トーキョーガールのリアルを含みながら、ゆるやかで爽やかに駆け巡る音楽が清々しくて、とても良かった。
大切なひとや信頼をおけるひとを失い、肉体はもうなくなってしまっても、そのひとの魂は残された人々の心の中で細分化されて自分が持つそれぞれのイメージのまま生き続けるんだと思う。果たすことが出来なかった約束を果たすために、私は燃えている。
遅れてしまったけれど、きっと君は見守っていてくれるだろう。
それにしても2012年がはじまってまだ4分の1にも満たないというのに、どうしようもなく色々なことに翻弄されている。そのなかでは楽しみや喜びもあるのだけれど、それ以上に哀しみや怒りが大きく、その振り幅はあまりにも堪え難い。
ただ、約束があるからやっていける。
文明は開化して、たくさんの電通媒体が増え、些細なことも伝えやすくなった今日ですが、大事なことは直接であってほしい。報せられるべき言葉を私は待ち疲れ、そういうことだったと思うしかない。いつか告げてくれるとちょっとでも信じた私が愚かだった。
キャッチボールがとれないまま何もかも否定されていくようで存在は透けていく。慣習は思いやりのない甘ったれた馴れ合いではないの。自らのペースが乱れてちょっと草臥れてしまったのかもしれない。気付いてしまった時点でこのままではいられないのだから。
コミュニティの在り方だとか、生き方など。とにかく、これからについて考える岐路に立っている。

黙々と部屋の模様替えに勤しんでいた週末に1年後の3月11日がありました。14時46分には動かす手を止めて、黙祷を捧げた。1年前のことから今に至るまでをずっと考えていた。たくさんのことを知り、考え方が変わり、変わらない想いがある。311以降に出会った人たちがいて、その不思議な巡り合わせと繋がりに想いを寄せながら、まだ見ぬ未来と築かれたいまを生きてる。皆様のあらゆる在り方の幸せを願います。

かつての児童書として教科書の中の言葉として、子どものころに読んでいた本を改めて読み直すことが近頃多い。ミヒャエルエンデ「モモ」宮沢賢治「銀河鉄道の夜」など。児童書などのひとつとして配給されていたとしても、大人になって読み返してみると子どもの頃よりも不思議とずっと言葉が入っていく、特に311以降の様々な状況下では腑に落ちることが多い。だから、読書適齢期なんてその本や人によって違う。
私は、あまりにも無知で無垢のまま大人になってしまったようです。
あと1週間もすれば、私はまたひとつ歳を重ねる。28歳最後の夜に、モスキートでenvy、TheSun、TGを観れる。たまらなく胸が高まる。楽しみで楽しみで、きっと私はまた泣いてしまうだろう。そして宝物の夜となるだろう、あの日のように。